■歴史年表
鎌倉時代(1290年)奥州伊達家4代当主・伊達政依(だて まさより)が開基した。
開山は東福寺5世・山叟慧雲(さんそう えうん)による。また、政依の帰依により陸奥国に五か寺が創建される。(「坊目誌」)。
当初は現在地の西南、正覚にあり寺号になる。 江戸時代、文化年間(1804-1818)、境内に筆塚が築かれる。
■山叟慧雲【さんそうえうん】
1227-1301 鎌倉時代の僧。安貞元年生まれ。
臨済宗。正嘉(しょうか)2年宋(そう)(中国)にわたり,帰国後,京都東福寺の円爾(えんに)の法をつぐ。
博多の承天(じょうてん)寺などをへて,永仁(えいにん)3年東福寺住持となる。
正安(しょうあん)3年7月9日死去。75歳。武蔵(むさし)飯沢(埼玉県)出身。俗姓は丹治。諡号(しごう)は仏智禅師。著作に「山叟和尚語録」。
■文化財
鎌倉時代の絹本著色「山叟慧雲像」(重文)。
「永仁七年(1229年)二月」の自賛がある。
■伊達政依【だて まさより】
鎌倉時代の武将・伊達政依(1227-1301)伊達正宗公の祖、奥州伊達家第4代当主。
従五位下蔵人大夫。陸奥国梁川城主。剃髪し入道願西と称した。
仏教の信仰篤く、伊達五山(現北山五山)、1283年伊達家最初の菩提寺の東昌寺ほか、光明寺、満勝寺(現・万正寺)、観音寺、光福寺を創建した。
■威徳堂
威徳堂には、渡宋天神(渡唐天神)が祀られている。
平安時代の菅原道真(835-909)の死後、その怨霊は天満大自在威徳天神と化したという。
威徳天神は一夜のうちに宋へ渡り、南宋の禅僧・無準師範(1178-1249)の教えを受け、その衣を授けられたという。
南北朝時代(室町時代)の東福寺・愚極礼才(1370-1452)がこの天神信仰を唱えたという。
■筆塚
江戸時代1804-1818)、1805年ともに築造された。
書家・川浪青漣、日本画家・西山翠嶂(1879-1958)
日本画家・西山英雄(1911-1989)
大形筆塚(1967)
などの筆塚が立つ。
寺院名 | 臨済宗東福寺塔頭 正覚庵 |
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別名 | 筆の寺 |
所在地 | 〒605-0981 京都市東山区本町15-808 |
TEL | 075-561-8095 |
宗派 | 臨済宗 東福寺派 |
本尊 | 釈迦如来 |
開基 | 伊達政依 |
文化財 | 絹本著色山叟恵雲像(国・重要文化財) |
拝観 | 非公開 |
交通アクセス | 市バス「東福寺」下車、徒歩15分 JR・京阪「東福寺駅」下車、徒歩15分 |